書活

本を読んで「思い」をつづります

才能はあるのに見つけることがむずかしい

手紙屋 蛍雪篇〜私の受験勉強を変えた十通の手紙〜

★★★★★

【後天性】
魚も木登りで判断されたら才能がないとなる。

「なるほど」です。

あとから努力して身につけた能力も才能です。
人は「先天的」な能力を才能と呼んでいるようですが、ここに食い違いが発生しています。

 

ギフテッドのように「脳力」がある者、ウサイン・ボルトのように「瞬発脚力」がある者、マラソン選手のように「心肺能力」がある者、建築家のように「空間認識能力」がある者、芸術家のように「美的能力」に長けた者、人それぞれに才能はあります。しかも、先天的な能力ではなく、後天的に得た能力もあります。

才能はすべての人が持っているものというのは理解できます。

 

ただ、その人にその能力があるというのはどのようにして見つければいいのでしょうか?
いろいろ試して、できないものは捨て、できそうなものだけを選ぶという方法もありますが、最初はうまくいかなかったことが、しばらくしたら、できてくることもあると思います。この場合、初期にできなかったがために選択肢から排除してしまうことになります。
また、しばらくはしていなかったけど、久しぶりにしたら何かうまくできることもあります。

 

また、どの時点で見切りをつければいいのでしょうか?
ミュージシャンを目指してがんばったが、いっこうに芽がでないためあきらめた。プロ野球選手を目指したが2軍どまりで一軍には入れなかった。社長を目指して会社に入ったが課長どまりとなった。そのようなことはよくあります。ただ、いつあきらめるかはむずかしいです。
「あきらめずにやり続ければできないことはない」と願いたいですが、現実はそうではありません。その分野で能力が発揮できない人はあきらめるか、最後の手段として、死ぬまでやり続ける長寿戦略しかなくなります。長寿戦略も簡単ではないのでほとんどの人はあきらめることになります。

 

時代が恐ろしい速度で変化している今は、少しだけ試して目が出なかったらすぐに方向性を変える方が正解なのかもしれません。
いろいろなものに手を出して結局、何も身についていないことになる可能性もありますが。。。

何かをはじめたら「中の上」ぐらいになるまではやってみることが重要だと思います。そこまで達しないと結局、ゼロに戻ってしまいます。何もしなかったことと同じ状態に戻ってしまいます。
いろいろ手を出すことはいいのですが、一度、手を出せば「中の上」になるまではそれに没頭することが重要だと思います。

しかし、「中の上」までになろうと思えば、結構時間がかかるのではないかと思われがちですが、没頭し寝ても覚めてもそのことばかりを考えていると、意外と早く「中の上」に到達するのではないかと考えます。
「中の上」に到達したところでこのまま続けるか、あるいは違うことをはじめるかを判断すればいいと思います。そこまで行けば、違うことをはじめても今までやってきたことが、ゼロになることもなく無駄になりません。

長い間続けているのに芽が出ない人は、そのことに従事している時間が短いように思います。年数的には長いのですが、他のことをやりながらそれも続けており、集中投下できていない状態になっています。

また、芽が出ない理由の一つにアウトプットの量が少ないということもあると思います。アウトプットをするためにはインプットも必要になってきますが、十分にインプットしているのに芽が出ない場合は、アウトプットが少ないと言えます。アウトプットをすれば何らかの反応があります。もしくは全く反応がありません。その反応に基づいて修正を繰り返していけば、いいものができあがってくるはずです。しかし、アウトプットをしていないと、この反応を得ることができませんし改善もできません。

 

こう考えると「没頭能力」、この能力さえあれば、あとは何とでもなりそうです。
この没頭する状態というのは、子供のころはみんな持っていたように思います。

 

今回、たまたま坪田さんの『才能の正体』と喜多川泰さんの『手紙屋 蛍雪編』を同時並行で読みましたが、ここでは喜多川泰さんの『手紙屋 蛍雪編』を推奨します。
10年以上前に出版された本ですが、坪田さんのおっしゃる「才能」を明確に表現されています。

 

才能の正体 (NewsPicks Book)