書活

本を読んで「思い」をつづります

幸福度がちがう

 ★★★★★ 

【ワクワクします!】

自由時間がクリエイティブな時間であり、仕事の時間はクリエイティブではないという考え方は一利ありです。ただ、好きなことをして生計を立てている人は、自由時間と仕事時間の区別はなく、常にクリエイティブな時間です。

 

ギリシア時代、仕事は奴隷がすることであり、それ以外の人はクリエイティブなことをしていました。そのため学術、文化などあらゆる面で進化した時代です。クリエイティブな時間が豊富にあった時代です。奴隷という犠牲のうえに成り立ってはいますが。。。

 

現代は人道的に奴隷制度は許されません。しかし現代に奴隷が現れました。

AIです。

奴隷という表現はよくないかもしれませんが、仕事なんかはAIにさせておけばいいのです。

 

ギリシア時代とは異なり、現状社会では仕事をしない人間はダメな人間とみなされます。働かざる者食うべからずとなっていますが、これはそういう概念を埋め込まないと社会が回らなくなるからです。

 

一種の洗脳です。

 

働かなくても社会が機能するのであればそういう概念は生まれず、働く必要もありません。

また、給料は辛いことをしたその代償として頂くものという認識もあります。

 

わたしの考えでは仕事は自分の好きなことです。

 

「仕事」=「好きなこと」です。

 

会社という組織に入ってしまうと、どうしても好きではない仕事もする必要があります。しかし、「仕事」=「好きなこと」と定義すると、好きではないことは仕事ではなくなるのです。

 

いやいやする業務は仕事ではないのです。

いやいややっていることは、仕事をしていることにはならないのです。

いやいやでも無理をしてがんばった業務が、仕事とはみなされないのです。とても悲しいです。

いやいやではどんなに仕事をしても仕事と認めてもらえない、つらいです。

 

では、やらなければいいのです。いやいややっても仕事と認められないのであれば、いやなことはする意味がありません。

 

しかし、いやでもやらなければ給料がもらえないではないか、食べていけないではないかと反論されそうですが、そこそこのくらしができる状態であれば、そこからさきはお金の増加と共に、幸福度は比例して増えていきません。

 

現在の日本で、夫婦と子ども二人の四人家族であれば、年収450万で贅沢をしなければ暮らすことができます。それ以上お金があっても、幸福度はお金が増えることにより比例して上昇しないということです。

幸福度は450万以上から先は増えないという意味ではなく、450万まではお金に比例するが、そこから先、幸福度を上昇させる要因は別にあるということです。

 

450万だけ稼いであとは自由時間にすればいいのです。年間稼ぐお金は、旦那さんが300万、奥さん150万でいいのです。

 

一年間で土日の休みにプラスして、

例えば、

 

1月から3月までは夫婦で完全オフ

 

ということもできるのではないでしょうか。

3ヶ月間は自由時間、クリエイティブ時間になります。

 

また、雇われる側と雇う側の考え方も異なります。雇われる側は労働時間に対して対価を求めますが、雇う側(特に起業家)は結果しかありませんし、時間ではないのです。さらに、起業家は時間をコントロールできる立場にあります。この時間自由度の差は雇われる側と雇う側ではかなり大きなものがあります。

 

経済的に自由になれば、雇われない立場になれ時間を自由にコントロールすることができます。

時間を自由に使える使えないで幸福度も大きく異なってきます。

 

 

 

人として生きる

★★★★★

【人間として過酷な世界】


評価経済社会でも感じましたが、会社に雇われないで一人ひとりが個人事業者として契約をし、仕事をするということになれば、人気がある人は契約が取れますが、評価が低い人は仕事が取れず、食うに困る人も出てきます。評価が低い人は自分の力では契約が取れません。
また、評価が高い人の中には、その評価が低い人を集めて雇うことを始める人も出てきます。そして、自分では契約が取れない評価が低い人は、今よりも安い給料でこき使われることになります。

過酷な世界です。

 

AIが日常的に盛り込まれる社会も同様です。
経営者はAIにかかるコスト(初期費用、電気代や消耗品などのランニングコスト)と同じ作業をする人(人件費)を比較します。
比較して分岐点が5年以内なら即AIを導入するでしょう。

 

例えば
 初期費用:3000万円
 ランニングコスト:400万円/年

 5年間では3000万円+400万円x5 = 5000万円となります。
 しかし、AIは休憩が必要ありませんので人と同じ仕事であれば3人分できます。
 
 5000万円/3人/5年 = 333万円/人/年
 会社としては年間人件費が333万円以下なら人、333万円以上ならAIを雇う

   こと になります。

 人件費は雇われた人がもらう給料ではなく、会社がその人を雇うために負担する

    費用です。
 雇われた人がもらえる給料はもっと少なくなります。


つまり、AIができることしかできない人間はAIにかかる費用以下の給料でしか雇ってもらえないことになります。
おそらく、極貧生活になります。

過酷な世界です。

 

わたしの考えとしては、仕事は機械にしてもらうという考えです。ただ、それにはわたし自身が、機械(AI)のできないことができる、あるいはAIを使う側にいるということが前提となります。

AIにできないこと、それは何かを創り出すことです。

AIは過去の膨大なデータから統計的に票数が多いものを選びます。正規分布から外れるような解は見いだせません。また、データ数が乏しいようなものでは答えを出せません。

しかし、人は正規分布から外れた答えを出すことができます。さらに、過去にデータがない世界に入ることもできます。

全く新しい発想ができるのです。

過去にデータがあるものはAIに最適解を出させて、

人は空想・妄想、芸術、研究をしましょう!

 

老害も親害も自然淘汰できるといいのですが。。。

 ★★★★☆

老害と親害】
一人の考えで何十年も会社を引っ張ることは不可能です。

成功体験が邪魔をします。完全に過去を忘れ、前しか見えない人ならいいかもしれませんが、そういう人はいません。
どうしても、過去で成功した方法と逆の考え方はできなくなってしまいます。
しかし、本人はそれに気づいていないあるいは認めたくない状態になっており、いつまでも斬新な新しい発想ができていると勘違いしてしまっています。さらに、その人が一番権力を持つ立場にいるなら、会社としては良くない方向に進みます。

一番権力を持つ人は自分自身に見切りをつけるときが来ることを認識して、自分なりの引退時期を考えておく必要があると思います。

時代は変化します。しかし、人の考え方は思った以上に変化しません。その考え方と時代がうまくマッチすれば、素晴らしいことになりますが、いつまでもうまくマッチはしません。
時代は一人の人間の創造を超えて変化します。一人の考え方では時代の変化についていけないのです。別の考え方を持つ人間に変えるしか方法はありません。

例えば、
「年間5つ以上の施策が打てなくなる、10個の施策で一つも芽が出ないなどの状態になったら清く引退する」
ということを自分の中で決めておくことも重要だと思います。
ごく稀に死ぬまでうまく行く人もいます。
ただ、そういう人はそのことが世界中の誰よりも好きで好きでたまらない人だけです。

時代というものは人が動かしています。しかし、一人の人が動かし続けているわけではなく無数の人が動かしています。一人の人間だけで動かしていけるレベルではないのです。


「自分より年上の人が言うことは、尊敬の念を持ってよく聞くこと」と教えられますが、すべての年上の人が尊敬に値するとは限りません。
聞く耳を持たなくてもいい人も正直います。「老害」です。

これは「親」という分類にも言えることです。子供にとって親は絶対的存在であるにもかかわらず、すべての親が親としてのレベルに達しているわけではないのです。
悲しいことですが、親の中には親の資格がない人もいます。
ろくでもない親でも親は親といいますが、ろくでもない親を親と呼んではいけないのです。
幼い子には無理ですが、親と呼べない親には子供から親子の縁は切るべきです。
これが「親害」です。

 

自由になるための思考法

 

★★★★☆

【必携武器】
「会社を辞めるやつより会社を辞めれないやつが問題」
あるベテランの方が言った言葉です。

わたしはこの言葉が心に残っています。

会社を辞めるときにあいさつに来る人の顔を見て、いつもこの言葉を思い出します。
まさに名言です。

会社をいつでも辞めれる状態にある人と、そうでない人では、仕事に対する姿勢・考え方が異なります。
どうしても、雇う側と雇われる側では雇う側の方が立場が強くなります。雇われる側は自分の考えとは異なり、YESと言いたくないような場面でもYESと言わざる負えない場面が多々あります。
しかし、いつでも転職できる思考を身につけると、雇う側と対等になれ自分の考えを強く主張することもできます。
ただ、これは雇われる側が単に強くなるだけでなく、同時に雇う側の質も良くするという効果もあります。

スポーツのプロの世界では、対等な世界ができています。プロスポーツはひとつの明確な基準に基づいてしのぎを削るため、客観的に評価ができ、優劣が明確な世界です。市場価値がはっきりしています。
サラリーマンと比べてはいけないのかもしれませんが、サラリーマンも毎年契約方式ができるとよくなると思います。今より当然査定はきびしくなりますが、会社に縛られない状態をつくることができます。

雇われる側も、市場価値よりも高い賃金を要求しても、相手にされません。雇う側も人を雇わないと会社を経営できませんので、人を雇わないわけにはいきません。本当であれば、市場価値より低い賃金で雇いたいところですが、そうしていると他社に雇われてしまう可能性があります。結局、市場価値あたりで落ち着く感じです。
会社を辞めれない人は市場価値より多く給料をもらっている人です。今の会社を辞めて、市場に放出されると、給料が下がります。


全員が、転職エージェントに登録し、市場価値を常に把握できれば面白いかもしれません。正確に市場価値を把握することはできないと思いますが、目安にはなると思います。

また、斜陽産業で給料を上げることはきびしいというのは仰る通りだと思います。
斜陽産業の中でも何か特殊なものに特化して、しかも経営者にならないとそれなりの給料を得ることができないと考えます。
誰も見向きもしない小さなパイでも、独り占めできればそこそこになるパイを狙うのもアリだと思います。

人生を考えると、心身健康で自分が思うように働けるのは70歳までだと思っています。あまり時間がありません。
長生きリスクというのもありますが、そんなことを考えて、好きでもないことを続けるのは時間の無駄です。
70歳より前に死ぬ可能性もあります。

残された時間はあまりないのです。

天職志向