書活

本を読んで「思い」をつづります

幸福度がちがう

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【ワクワクします!】

自由時間がクリエイティブな時間であり、仕事の時間はクリエイティブではないという考え方は一利ありです。ただ、好きなことをして生計を立てている人は、自由時間と仕事時間の区別はなく、常にクリエイティブな時間です。

 

ギリシア時代、仕事は奴隷がすることであり、それ以外の人はクリエイティブなことをしていました。そのため学術、文化などあらゆる面で進化した時代です。クリエイティブな時間が豊富にあった時代です。奴隷という犠牲のうえに成り立ってはいますが。。。

 

現代は人道的に奴隷制度は許されません。しかし現代に奴隷が現れました。

AIです。

奴隷という表現はよくないかもしれませんが、仕事なんかはAIにさせておけばいいのです。

 

ギリシア時代とは異なり、現状社会では仕事をしない人間はダメな人間とみなされます。働かざる者食うべからずとなっていますが、これはそういう概念を埋め込まないと社会が回らなくなるからです。

 

一種の洗脳です。

 

働かなくても社会が機能するのであればそういう概念は生まれず、働く必要もありません。

また、給料は辛いことをしたその代償として頂くものという認識もあります。

 

わたしの考えでは仕事は自分の好きなことです。

 

「仕事」=「好きなこと」です。

 

会社という組織に入ってしまうと、どうしても好きではない仕事もする必要があります。しかし、「仕事」=「好きなこと」と定義すると、好きではないことは仕事ではなくなるのです。

 

いやいやする業務は仕事ではないのです。

いやいややっていることは、仕事をしていることにはならないのです。

いやいやでも無理をしてがんばった業務が、仕事とはみなされないのです。とても悲しいです。

いやいやではどんなに仕事をしても仕事と認めてもらえない、つらいです。

 

では、やらなければいいのです。いやいややっても仕事と認められないのであれば、いやなことはする意味がありません。

 

しかし、いやでもやらなければ給料がもらえないではないか、食べていけないではないかと反論されそうですが、そこそこのくらしができる状態であれば、そこからさきはお金の増加と共に、幸福度は比例して増えていきません。

 

現在の日本で、夫婦と子ども二人の四人家族であれば、年収450万で贅沢をしなければ暮らすことができます。それ以上お金があっても、幸福度はお金が増えることにより比例して上昇しないということです。

幸福度は450万以上から先は増えないという意味ではなく、450万まではお金に比例するが、そこから先、幸福度を上昇させる要因は別にあるということです。

 

450万だけ稼いであとは自由時間にすればいいのです。年間稼ぐお金は、旦那さんが300万、奥さん150万でいいのです。

 

一年間で土日の休みにプラスして、

例えば、

 

1月から3月までは夫婦で完全オフ

 

ということもできるのではないでしょうか。

3ヶ月間は自由時間、クリエイティブ時間になります。

 

また、雇われる側と雇う側の考え方も異なります。雇われる側は労働時間に対して対価を求めますが、雇う側(特に起業家)は結果しかありませんし、時間ではないのです。さらに、起業家は時間をコントロールできる立場にあります。この時間自由度の差は雇われる側と雇う側ではかなり大きなものがあります。

 

経済的に自由になれば、雇われない立場になれ時間を自由にコントロールすることができます。

時間を自由に使える使えないで幸福度も大きく異なってきます。