書活

本を読んで「思い」をつづります

老害も親害も自然淘汰できるといいのですが。。。

 ★★★★☆

老害と親害】
一人の考えで何十年も会社を引っ張ることは不可能です。

成功体験が邪魔をします。完全に過去を忘れ、前しか見えない人ならいいかもしれませんが、そういう人はいません。
どうしても、過去で成功した方法と逆の考え方はできなくなってしまいます。
しかし、本人はそれに気づいていないあるいは認めたくない状態になっており、いつまでも斬新な新しい発想ができていると勘違いしてしまっています。さらに、その人が一番権力を持つ立場にいるなら、会社としては良くない方向に進みます。

一番権力を持つ人は自分自身に見切りをつけるときが来ることを認識して、自分なりの引退時期を考えておく必要があると思います。

時代は変化します。しかし、人の考え方は思った以上に変化しません。その考え方と時代がうまくマッチすれば、素晴らしいことになりますが、いつまでもうまくマッチはしません。
時代は一人の人間の創造を超えて変化します。一人の考え方では時代の変化についていけないのです。別の考え方を持つ人間に変えるしか方法はありません。

例えば、
「年間5つ以上の施策が打てなくなる、10個の施策で一つも芽が出ないなどの状態になったら清く引退する」
ということを自分の中で決めておくことも重要だと思います。
ごく稀に死ぬまでうまく行く人もいます。
ただ、そういう人はそのことが世界中の誰よりも好きで好きでたまらない人だけです。

時代というものは人が動かしています。しかし、一人の人が動かし続けているわけではなく無数の人が動かしています。一人の人間だけで動かしていけるレベルではないのです。


「自分より年上の人が言うことは、尊敬の念を持ってよく聞くこと」と教えられますが、すべての年上の人が尊敬に値するとは限りません。
聞く耳を持たなくてもいい人も正直います。「老害」です。

これは「親」という分類にも言えることです。子供にとって親は絶対的存在であるにもかかわらず、すべての親が親としてのレベルに達しているわけではないのです。
悲しいことですが、親の中には親の資格がない人もいます。
ろくでもない親でも親は親といいますが、ろくでもない親を親と呼んではいけないのです。
幼い子には無理ですが、親と呼べない親には子供から親子の縁は切るべきです。
これが「親害」です。