書活

本を読んで「思い」をつづります

人として生きる

★★★★★

【人間として過酷な世界】


評価経済社会でも感じましたが、会社に雇われないで一人ひとりが個人事業者として契約をし、仕事をするということになれば、人気がある人は契約が取れますが、評価が低い人は仕事が取れず、食うに困る人も出てきます。評価が低い人は自分の力では契約が取れません。
また、評価が高い人の中には、その評価が低い人を集めて雇うことを始める人も出てきます。そして、自分では契約が取れない評価が低い人は、今よりも安い給料でこき使われることになります。

過酷な世界です。

 

AIが日常的に盛り込まれる社会も同様です。
経営者はAIにかかるコスト(初期費用、電気代や消耗品などのランニングコスト)と同じ作業をする人(人件費)を比較します。
比較して分岐点が5年以内なら即AIを導入するでしょう。

 

例えば
 初期費用:3000万円
 ランニングコスト:400万円/年

 5年間では3000万円+400万円x5 = 5000万円となります。
 しかし、AIは休憩が必要ありませんので人と同じ仕事であれば3人分できます。
 
 5000万円/3人/5年 = 333万円/人/年
 会社としては年間人件費が333万円以下なら人、333万円以上ならAIを雇う

   こと になります。

 人件費は雇われた人がもらう給料ではなく、会社がその人を雇うために負担する

    費用です。
 雇われた人がもらえる給料はもっと少なくなります。


つまり、AIができることしかできない人間はAIにかかる費用以下の給料でしか雇ってもらえないことになります。
おそらく、極貧生活になります。

過酷な世界です。

 

わたしの考えとしては、仕事は機械にしてもらうという考えです。ただ、それにはわたし自身が、機械(AI)のできないことができる、あるいはAIを使う側にいるということが前提となります。

AIにできないこと、それは何かを創り出すことです。

AIは過去の膨大なデータから統計的に票数が多いものを選びます。正規分布から外れるような解は見いだせません。また、データ数が乏しいようなものでは答えを出せません。

しかし、人は正規分布から外れた答えを出すことができます。さらに、過去にデータがない世界に入ることもできます。

全く新しい発想ができるのです。

過去にデータがあるものはAIに最適解を出させて、

人は空想・妄想、芸術、研究をしましょう!